活動レポート Report

ロヒンギャ難民を忘れない~5年目のキャンプ報告

2022年7月19日

ミャンマーのイスラム少数民族ロヒンギャが2017年8月以降、国軍・治安部隊の激しい武力弾圧を逃れて、隣国バングラデシュに大量流入してから5年。本国帰還が実現しないばかりか、昨年2月に起きた非常事態宣言の発令でミャンマー情勢は混迷を極め、ロヒンギャ問題の解決はさらに遠のいています。

国際社会の関心がウクライナ危機に集中する一方で、累計100万人超のロヒンギャ難民は、バングラデシュ南東部コックスバザール県に散在する過密なキャンプに閉じ込められたまま、半ば忘れられようとしています。5年目を迎える難民キャンプの現状を、AAR Japan[難民を助ける会]元コックスバザール駐在、中坪央暁(現東京事務局)が報告します。

クトゥパロン難民キャンプの市場で野菜を売る子どもたちの写真

クトゥパロン難民キャンプの市場で野菜を売る子どもたち

難民キャンプの風景が一変

何だか別の場所に来たみたいだな――。60万人余りが暮らす世界最大の難民キャンプ、クトゥパロン・キャンプを2年9か月ぶりに訪ねた6月末。高台から眺める風景は大きく様変わりしていました。2017年当時、丘陵地を荒々しく切り開いて造成され、竹材とビニールの粗末なテントが見渡す限り建ち並んでいたキャンプは、濃い緑の木々に覆われて、半分消えてしまったかのようです。

クトゥパロン難民キャンプの同じ場所の写真 ㊤2018年前半/㊦2022年6月

クトゥパロン難民キャンプの同じ場所 ㊤2018年前半/㊦2022年6月

「国連機関や政府が緑化のために植樹を進めたんですよ。空き地を利用した野菜畑も増えました」と現地NGO関係者は説明します。他にも目に付いた変化は多く、車両が通行するキャンプ内の道路が整然とレンガ舗装されたり、放水路の護岸が整備されたり、テントの建材や造りもいくらか良くなっています。大量流入の翌2018年、雨季の到来を前に斜面の土砂崩れや浸水が懸念されていた頃とは一変し、住環境の安全性はかなり改善されて、ひとつの町が完成したような印象を受けました。

他方で、当初は難民に同情的だったコックスバザールの住民感情の悪化、国民世論の硬化を背景に、2020年頃に建設が始まったキャンプ周辺のフェンスや鉄条網が完成し、キャンプ入口に検問所ができたり、武装警察隊が常駐したり、ある意味では牧歌的だった以前のキャンプとは少し様子が異なります。ごく一部のロヒンギャが絡む違法薬物売買、銃器の所持、殺人などの犯罪も後を絶たず、バングラデシュ当局にとって、ロヒンギャ難民は人道的な「保護」の対象から「警戒・監視」の対象に変質したことが読み取れます。

2020年以降に設置された難民キャンプを取り囲むフェンスの写真

2020年以降に設置された難民キャンプを取り囲むフェンス

キャンプにある「難民市場」の賑わい

「許可をもらってる訳じゃないけど、こうして商売しないと生活できないんだよ」。クトゥパロン難民キャンプの中にある市場で、薄い口ひげを生やした16歳の雑貨店主は話しました。薄暗い迷路のような市場には、野菜や果物、コメ、豆類、魚の干物、日用雑貨、衣類などを扱う店が軒を連ね、どこから仕入れるのか鮮魚を扱う一角もあります。ここでは売り手も買い手も難民であり、居住人口が多いこともあって、周辺農村部の集落よりもよほど活気があります。

クトゥパロン難民キャンプの市場の鮮魚売りの写真

クトゥパロン難民キャンプの市場の鮮魚売り

難民キャンプでは食料や日用品、医療サービスなどすべて無料で提供される代わりに、就業したりビジネスをしたりすることは表向き禁止されています。なし崩しの定住につながるためです。バングラデシュ当局は以前、キャンプ内の露店1,000棟程を見せしめ的に強制撤去したこともありますが、実際にはこうした「難民市場」が場所を移して存在し続けています。

キャンプでも、例えば国連機関による道路工事、支援団体の施設運営などに有給ボランティアとして参加し、日当として少額の現金収入を得ることはできます。しかし、お目こぼしを受けた闇市場でそれなりの売買が行われている実態は、そうした“お小遣い”以上に、ある程度のカネがキャンプ内で回っている証拠であり、つまり「キャンプの外でビジネスや日雇い労働で一定の収入を得ている難民が少なくない」(援助関係者)ことを意味します。

本国帰還の希望が全く見えない中、それは難民たちが生き抜くための知恵であって、「不法な収入があるなら援助は要らないだろう」などと目くじらを立てる話ではありません。とはいえ、難民流入によって広大な土地を占拠され、自分たちは何の恩恵も受けないうえに、日雇い仕事まで横取りされる貧しい近隣住民にとって、難民は「一日も早く帰ってほしい厄介者」でしかないのもまた事実です。

AARが運営する女性の活動施設

AARは2017年末以降、難民キャンプで水衛生分野の支援(井戸・トイレ・水浴び室などの設置・管理)、より弱い立場にある子どもや女性のための活動スペースの運営に加え、2020年5月以降キャンプで広がった新型コロナウイルス感染防止として、衛生啓発活動や衛生用品の配付などに取り組んできました。不公平感が広がらないように、ホスト・コミュニティ(周辺地域)でも同様の支援を実施しています。現在は女性支援に活動を絞り、“Woman Friendly Space”(WFS)と呼ばれる施設を2つのキャンプで運営しています。

AARが運営する女性の活動施設(WFS)。中央はAAR駐在員の宮地佳那子の写真

AARが運営する女性の活動施設(WFS)。中央はAAR駐在員の宮地佳那子

WFSは家庭内暴力や人身売買、早期婚など女性を取り巻くさまざまなリスクを伝えたり、カウンセリングに応じたりするほか、裁縫や染め物、竹細工などの手工芸活動を通じて、狭い自宅のテント以外に居場所がない女性たちが安心して過ごせる空間になっています。彼女たちはWFSの足踏みミシンを交代で使い、子どもの服を縫ったり、近所でちょっとした注文を受けたり、この場所を日常的な拠りどころにしてくれているようです。4年前にWFSを開設した当事者として、このささやかな施設が今も役立っていることに、私は少なからず安堵しました。

子どもたちの未来を支える

ロヒンギャ難民は18歳未満の子どもが半数以上を占める若い集団であり、バングラデシュ当局によると一日平均95人の赤ん坊が生まれています。キャンプには国連機関の資金で運営されるラーニングセンター(仮設学校)、イスラムの教えを学ぶマドラサ(イスラム学校)、NGOによる子どもの活動施設(Child Friendly Space:CFS)などが数多く運営され、開け放たれた教室から子どもたちの元気な声が聞こえます。

難民キャンプのマドラサで聖典コーランを詠唱する子どもたちの写真

難民キャンプのマドラサで聖典コーランを詠唱する子どもたち

しかし、授業はビルマ(ミャンマー)語と初級英語、算数といったノンフォーマル(非正規)の初等教育、つまり「読み書きソロバン」のレベルに留まり、中等教育以上はありません。ちなみにロヒンギャが常用する言葉はベンガル語の方言とされますが、バングラデシュの公用語ベンガル語を教えることは、定住の容認につながるとの理由もあって禁じられているのです。

難民キャンプのラーニングセンター(仮設学校)の子どもたちの写真

難民キャンプのラーニングセンター(仮設学校)の子どもたち

早期の本国帰還を前提として、ミャンマーの教育課程に準拠した公教育を試行する動きもありますが、いずれにせよ適正な学校教育や職業訓練の機会が与えられないまま、多くの若者や子どもたちが就学も就労もできない「失われた世代」と化しつつあります。将来に何の希望も持てない若い世代が増え続けることは、人道上の問題というだけでなく、犯罪集団やテロ組織の浸透を招く要因にもなりかねません。

難民たちに話を聞いたところ、従来と変わらず「国籍が認められるならミャンマーに帰りたい」「バングラデシュに定住するつもりはない」と主張するものの、以前よりも何となく熱量が乏しく、誰もが帰還を切望している訳ではない雰囲気を感じました。ミャンマー情勢を正確に把握し、「拘束されたアウンサンスーチーは牢屋から出られない(復権できない)だろう。国軍支配下のミャンマーにはとても帰れない」と冷静に分析する男性もいます。

難民問題が長期化するのは世界の通例です。私は100万人規模のロヒンギャ難民の帰還は極めて困難であり、少なくとも二代三代にわたって絶望的と考えています。コックスバザールの複数の関係者も「難民はミャンマーに帰還するべきだが、実際には帰れない/帰らないだろう」と話し、建前と現実の間で割り切れない思いを抱いているようでした。

ウクライナ危機の陰で、何の展望もないロヒンギャ難民は早くも忘れられつつあります。ウクライナの場合、目を覆う惨状が現在進行形で続いているとはいえ、欧米や日本など国際社会は「早期の停戦と戦後復興/難民の帰還」という道筋を共有しています。母国ミャンマーを武力で追い出され、バングラデシュにも受け入れてもらえない「世界最大の無国籍集団」ロヒンギャ難民については、誰も現実的・具体的な解決策を明示できません。

私たちにできることは、残念ながら余り多くありません。しかし、その存在を忘れた瞬間、すべての道は閉ざされます。ロヒンギャ難民を忘れないこと、関心を持ち続けること。5年目の今夏、もう一度この問題に目を向けるところから、私たちは始めなければなりません。

【WEB写真展】ロヒンギャ難民を忘れない

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中坪 央暁NAKATSUBO Hiroaki東京事務局

全国紙の東南アジア特派員・東京本社編集デスクの後、国際協力機構(JICA)の派遣でアフリカ・アジアの紛争復興・平和構築を取材。AARコックスバザール駐在を経て東京事務局勤務。著書『ロヒンギャ難民100万人の衝撃』ほか

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