AAR Japan[難民を助ける会]は、記録的な洪水に見舞われたパキスタン北西部ハイバル・パフトゥンハー州で、食料配付や給水などの緊急支援を実施しています。被災者の中には、隣国アフガニスタンの混乱を逃れ、この地に来て被災した難民の人々がいます。AARイスラマバード事務所の大泉泰が報告します。
「何もかも流されて途方に暮れています」。同州ノウシェラ郡ケシギ・パヤン地区にあるアフガニスタン難民居住地は、8月下旬の洪水で家屋約50棟が流され、約100世帯・700人が被災しました。
この地区で暮らす人々の多くは、1990年代のアフガニスタン内戦時に逃れてきた難民で、昨年8月のイスラム主義勢力タリバンの復権を受けて避難して来た家族もいます。周辺のパキスタン人のコミュニティと比べて貧しい世帯が多いうえ、居住地はあくまで「一時的な避難先」という位置付けなので、鉄筋やコンクリートの家を建てることはできません。
泥やレンガで造った家々は、洪水によって見る影もなく破壊され、辺りには泥とガレキが散乱していました。洪水発生時、住民は高台に避難して無事でしたが、大切な財産である牛やヤギなどの家畜も多くが失われました。
現場では国連機関がテントや簡易トイレを設けていますが、食料や水の供給はなく、アフガニスタン難民の被災者は疲れ果て、ぐったりした女性や子どもの姿を多数見かけました。AARは9月7~8日、計100世帯にコメ3キロ、小麦粉10キロ、豆3キロ、茶葉1キロ、砂糖5キロ、および食用油、塩、香辛料、石けん、虫よけスプレーを配付したほか、給水車で安全な水を連日提供しています。
食料を受け取ったムハンマド・キターブさん(33歳)は、洪水の一報を聞いて、出稼ぎ先のパキスタン東部ラホールから急きょ戻って来たといいます。「妻と二人の子どもは幸い無事でしたが、家も家財道具もすべて失いました。政府からも居住地の地主からも情報が一切入って来ないため、今後どうなるのか、未来が全く見えません」。
ノウシェラ郡は2010年にも大規模な洪水が発生し、実はその時もAARがケシギ・パヤン地区で支援活動をしていたことを今回知りました。何人もの住民がAARのことを覚えており、「あの時も助けてもらったけれど、また来てくれて本当にありがとう」とお礼を言ってくれたのです。
12年前のAARの支援を覚えていてくれてたことを嬉しく思う一方で、母国アフガニスタンの混乱を逃れた避難先で、長い年月を経て、2回も同じ災害に見舞われなければならない不条理に私はがく然としました。
AARは少しでも多くの支援を提供しようと、連日現場に入って活動しています。皆さまからいただいたご寄付は、私たちが確かな支援のカタチにして被災者に直接お届けします。AARのパキスタン緊急支援へのご協力を重ねてお願い申し上げます。
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大泉 泰 OIZUMI Yasushiパキスタン事務所
民間企業で勤務後、2017年にAARに入職し、パキスタン・イスラマバード事務所に駐在。