2000年代以降、目覚ましい経済成長を続けるカンボジア。1970~90年代の内戦時代の「負の遺産」である地雷の被害は近年、大幅に減少したものの、すべて解消されたわけではなく、今も地雷と闘い続ける人々がいます。AAR Japan[難民を助ける会]が支援する地雷被害者の車いす工房、残存する地雷除去の取り組みを、ジャーナリストでAAR東京事務局の中坪央暁が現地から報告します。
設立30年を迎える車いす工房
「新しい工作機械が去年入ったけれど、基本的に車いす一台一台が私たちの手作りだよ」。プノンペン市街北部の国立リハビリテーションセンター敷地内にある車いす工房「Wheelchair for Development(WCD)」。金属加工の町工場のような工房で、自身も車いす利用者のベテラン職人、オクサルーンさん(64歳)は話します。
ここは地雷被害者支援のためにAARが1994年に設立し、2006年に現地NGOとして独立した国内に2カ所しかない車いす製作拠点のひとつ。地雷被害者を含む11人のスタッフが車いすや歩行補助具を作り、注文に応じて1台120ドル(約1万9,000円)程度で販売するほか、貧困世帯の障がい者には月に2~3台を無償提供しています。
オクサルーンさんは内戦終結前の1989年、ポル・ポト派掃討を続ける政府軍兵士だった28歳の時に、タイ国境と接するパイリン州で自軍の地雷に触れ、右脚と左眼を失いました。「あの頃は身体障がい者は役立たずと見なされ、差別は当たり前でした。祖国のために戦って負傷したのに、市場に買い物に行っても物乞いと間違われて相手にされず、本当に悔しい思いをしたものです」。
建設現場の手伝いなどで食いつないだ後、開設当初の車いす工房で働き始めて技術を磨き、今では若手を指導するリーダー役として欠かせない存在です。幸い家族にも恵まれ、工房の近くで暮らすオクサルーンさんは、「もう歳だし、そろそろ引退してゆっくりしたいんだけどなあ」と言いますが、それはまだ先のことになりそうです。
自身もポリオの後遺症があるソパノー工場長(41歳)は、「従来は月産10~20台程度でしたが、今年は地元の福祉団体から大量注文があり、月産40~50台の車いすを作っているので連日大忙しです」。品質の良さが評価されて受注が増えていますが、地雷被害者は年々少なくなり、現在は病気や事故による身体障がい者、高齢者の利用が中心になっています。
同じく工房で働くスワイヨンさん(64歳)は、南西部ココン州で家具職人として家族を養っていた1984年、木材を集めに入った森の中で地雷に触れ、右脚を膝下から切断しました。「自分と同じような地雷の犠牲者を少しでも減らしたい」という思いから、政府機関のカンボジア地雷対策センター(CMAC)に5年間務めた後、地元に家族を残して、2007年にプノンペンに単身赴任して工房に加わりました。
ロシアの軍事侵攻が続くウクライナなど、今も世界各地で多数の地雷が使われ、残置されている現状に触れると、ふたりは「地雷被害者はそのことで生涯苦しまなければならない。私たちのような被害者がいることを忘れず、国際社会はこの問題にもっと目を向けて、地雷のない世界をつくってほしい」と口を揃えました。
タイ国境で続く地雷除去事業
「ボーン!」とくぐもった爆発音が響き渡り、300メートル前方で土煙が高く上がりました。プノンペンから車で約6時間、タイ国境に近いカンボジア西部のバンテアイミエンチェイ州マライ郡オーオンパル村。「日本地雷処理を支援する会」(JMAS)の地雷除去事業地で、探知された対人地雷に爆薬を仕掛けて爆破処理する作業が行われていました。
2002年創立のJMASは、自衛隊出身の専門家が中心となって、地雷・不発弾の処理などに取り組んでいる非営利団体です。カンボジアでは2002年以降、33万発に上る地雷・不発弾を処理した実績があり、現在は日本人9人が駐在して、同州を含む3州で活動しています。
カンボジアでは内戦時代、ポル・ポト派やカンボジア政府軍、進攻したベトナム軍などが推計400万~600万発の地雷を埋設したと言われます。地雷・不発弾による被害(1979~2023年)は死者1万9,822人/負傷者4万5,215人(うち四肢切断9,088人)。近年減少したとはいえ、2022~23年の直近2年間に死者14人/負傷者59人の被害がありました。
同州駐在のJMAS地雷除去専門家、中野雅仁さんは「当時の資料や聞き取り調査を踏まえて地雷原を特定したうえで、探知機を使って地雷・不発弾を探し、専門チームが爆破処理します」と説明します。マライ郡など同州3郡の事業地で、2022年に対人地雷160発/対戦車地雷3発/不発弾141発を除去したほか、村人が見付けた同じく64発/2発/140発を回収・処理しました。
建設機械メーカーから提供されたブルドーザー型の対人地雷除去機も併用しますが、重機では対処できない多くの場所は、中野さんたちの監督の下、特別な訓練を受けたCMAC探知要員が手作業で行います。ヘルメットなどの防護具を着けて、中野さんの先導でポル・ポト派の抵抗拠点だった密林の地雷原を歩くと、探知要員が幅1.5メートルの持ち場を慎重に進みながら、爆発物が見付かった地点に目印の竹棒を立てていました。熱帯の暑さの中、早朝から6時間ほどの作業で1日30メートルが限度といいます。
この活動では地雷除去だけでなく、安全になった土地の農地整備・農業技術指導、道路や学校建設に取り組み、地域住民の生活再建を支援しています。中野さんは「地雷除去はマイナスをゼロにする仕事。地雷を取り除いたことなど2週間で忘れられてしまう。地域再建のために、ゼロをプラスにするまでやらないと意味がありません」。
内戦終結から約30年、5~6%台の経済成長を続けるカンボジアですが、高層ビルが建ち並ぶ首都プノンペンを出ると、地方では「負の遺産」が暗い影を落としています。実際に地雷原を歩き、地雷被害者と会って、同国の地雷問題が過去の話ではなく、今なお続く人道上の重要課題であることを再認識しました。
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中坪 央暁NAKATUBO Hiroaki東京事務局兼関西担当
全国紙の海外特派員・編集デスクを経て、国際協力機構(JICA)の派遣でアジア・アフリカの紛争復興・平和構築の現場を継続取材。2017年AAR入職、バングラデシュ駐在としてロヒンギャ難民支援に約2年間従事。2022年以降、ウクライナ人道危機の現地取材と発信を続ける。著書『ロヒンギャ難民100万人の衝撃』、共著『緊急人道支援の世紀』ほか。