活動レポート Report

ウクライナ難民と地域住民に医療サービスを提供:モルドバ

2024年9月10日

ロシアによるウクライナ軍事侵攻から2年半が経ちます。現在も終息の見通しは立っておらず、多くの人々が難民としての生活を余儀なくされています。AAR Japan[難民を助ける会]は現地団体と連携して、モルドバでの避難生活を続けるウクライナ難民と地域住民を対象とした医療支援を行っています。AARキシナウ事務所のハリル・オスマンが報告します。

建物の前に人が集まっている

コミュニティセンターに集まる人々=モルドバ・キシナウ市

モルドバで暮らすウクライナ難民の中には高齢者も多く、日常的に医療サービスを必要とする人も少なくありません。AARは現地協力団体レジーナ・パシスと連携して、モルドバの首都キシナウでコミュニティセンター「Space for Smile」を運営し、2024年6月からはウクライナ難民と地域の脆弱世帯を対象とした医療支援を行っています。

AARが行う医療支援では、人々が適切な医療サービスを受けられるよう、協力団体のソーシャルワーカーが一人ひとりにあわせた個別支援プランを作成し、その後、レジーナ・パシスの医師による診察や他の医療施設などへの照会を行います。また、医療検査や医薬品の費用を負担する支援も行っています。

平和な老後を過ごしたい

ウクライナ・ミコライウ州出身のタマラさん(65歳)は、軍事侵攻が始まった当時のことは恐怖で思い出せないと言います。2022年5月に夫と息子家族とともにキシナウに避難してきましたが、その後息子は家族の生活費を稼ぐため他国に移住し、現在タマラさん夫婦は孫とモルドバに残って生活しています。

女性2人が椅子に座って向かい合って話している

ソーシャルワーカーの個別相談を受けるタマラさん(左)=モルドバ・キシナウ市で2024年7月17日

タマラさんは、慣れない土地での長引く避難生活によって、体調を崩しがちになっていました。AARが医療支援プログラムを実施していることを知ったタマラさんは、ソーシャルワーカーによるカウンセリングを受けた後、心臓と消化器の専門病院で治療を受け、処方された薬を服用しています。タマラさんは、「ウクライナに戻って、平和な老後を過ごしたい。でも、こうやって、他国からやってきた自分を気遣ってくれる人がモルドバにもいることに感謝している」と話します。

未来への希望を取り戻す

隣国ウクライナから多くの難民が流入したことによって、モルドバのインフラや公的サービスは逼迫しています。特に医療分野においては、病院がウクライナ難民への医療サービスを提供するようになってから、モルドバ国民が病院の受診予約を取りにくくなるなどの影響が生じていました。不公平感を生まないためにも、AARが行う医療支援では、ウクライナ難民だけでなく地域に暮らすモルドバの人々も対象にしています。

女性が椅子に座り、暗い表情でうつむいている。

将来への不安を吐露するマリアさん=モルドバ・キシナウ市で2024年7月17日

モルドバ人のマリアさん(51歳)は、幼い頃に両親がアルコール依存症となり、7歳からは孤児院で育ちました。十分な教育を受けることができず、成人後も読み書きができなかったため、低賃金の仕事に就かざるを得ませんでした。結婚して子どもにも恵まれ、人生が好転したように思えた頃、大腸がんと診断されます。がんの治療を続けながらも治療費の負担は大きく、家族の将来について不安を抱えていました。

AARによる医療プログラムを知ったマリアさんは、コミュニティセンターのソーシャルワーカーに深刻な不安状態にあることを相談しました。レジーナ・パシスの医師による診察を受けることになり、薬もAARの支援によって処方されることになりました。治療によって健康状態が少しずつ改善し、マリアさんは「将来への前向きな気持ちを取り戻すようになりました」と話します。

危機発生から2年半、ウクライナ難民となった人々は一刻も早く祖国に戻ることを願いながら、厳しい避難生活を続けています。引き続き、AARのウクライナ難民支援へのご協力をお願い申し上げます。

ハリル・オスマンKhalil Othmanキシナウ事務所代表

シリア出身。2014年以降、難民としてトルコに居住。2015年AARトルコ事務所に入職。トルコ事務所代表を務めた後、2023年からモルドバ・キシナウ事務所駐在代表としてウクライナ難民支援に従事。

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