「自転車とぶつかって右脚を骨折しました。治療を受けたけど、脚の肉の組織がダメになってしまって、ひざから下を切断することになりました」(ファティマさん、11歳)。日本であれば適切な治療を受けて回復できる怪我でも、医療体制が不十分な地域では四肢を失うことがあります。AAR Japan[難民を助ける会]は内戦下のスーダンで、手足を失った人たちに義足や義手を届ける支援を続けています。海外駐在員の相波優太が報告します。

新しい義足を装着したファティマさん
内戦下でも義肢支援を継続
スーダンでは、2023年4月に政府軍と準軍事組織「RSF」との間で内戦が始まり、3年近く経過した現在もなお収束の兆しが見えていません。国連移住機関(IOM)によると、25年9月時点で人口の20%近くの約925万人が避難生活を送るなど、深刻な人道危機が続いています。
AARは2006年に同国で活動を始め、内戦開始後は東部カッサラ州で国内避難民などへの支援を行っています。また、内戦前から続けている「顧みられない熱帯病」と呼ばれるマイセトーマや、地雷などで手足の切断に至った人への義肢提供を、スーダン国立義肢センターやカッサラ州義肢センターとともに続けています。

ファティマさん(左)と家族=カッサラ州で2026年1月
新しい義足で学校へ
カッサラ州の村で家族と暮らすファティマさんは、学校が大好きな活発な女の子です。5歳の頃、外で遊んでいた時に自転車とぶつかり、右脚を骨折しました。村の診療所で治療を受けましたが、患部が壊疽(えそ)を起こし、右脚のひざ下を切断しました。「その時は、体の一部が無くなることがどういうことなのか、よく分かりませんでした」とファティマさんは振り返ります。
切断後に使っていた義足は、成長とともに小さくなり、2024年頃には強い痛みで歩くことが困難になりました。一家の月収は約1万円。新しい義足の購入や、装着に必要な、成長した骨の一部を削る手術を受ける余裕はありませんでした。
その後、AARの現地職員が一家の状況を知り、カッサラ市の病院と義肢センターの協力を得て新しい義足を製作し、ファティマさんのもとへ届けました。「これで自分の脚で毎日学校に通うことができます。将来はお医者さんになって、自分のように苦しんでいる人を助けたいです」とファティマさんは話します。

義足制作のための検査を受けるウムカルトゥムさん=カッサラ州義肢センターで2025年12月
「新たな義足で自信を取り戻せました」
AARは、内戦で避難生活を送る人たちへの義肢支援も行っています。首都ハルツームに住んでいたウムカルトゥムさん(39歳)は、2023年の内戦勃発後、戦闘を逃れてカッサラ州へ避難し、現在は同州の国内避難民キャンプで生活しています。
彼女はまだ10代だった1998年、ハルツーム郊外でトマト収穫の仕事を終えた後、荷台に乗っていたトラックが対戦車地雷の爆発に巻き込まれ、両足と右目を失いました。「同乗していた女性はその場で亡くなりました。私は生き延びただけでも幸運だったのかもしれません。しかし、仕事ができなくなり、家族を支えることもできなくなり、肉体的にも精神的にも苦しい日々でした」と振り返ります。
その後、内戦下では義足の修理や調整もままならず、避難生活の中で義肢の不具合を抱えていました。避難先でAARのスタッフと出会い、新たな義足の提供を受けました。「新しい義足を受け取り、自信と活力を取り戻すことができました。本当に感謝しています。将来は小さな商店を持ち、子どもたちがきちんと教育を受けられるよう育てていきたいです」と話しています。
長期化するスーダン内戦は、もともと厳しい生活を送っていた人々の暮らしを、さらに困難なものにしています。それでも人々は希望を失わず、懸命に日々を生き抜いています。ご支援くださる皆さまの想いは、遠く離れたスーダンの地へ確かに届き、前へ進もうとする人々の未来を作り上げています。AARのスーダンでの活動に引き続きご協力くださいますよう、心よりお願い申し上げます。

相波 優太AIBA Yuta海外駐在員(スーダン事業担当)
大学院で平和構築を学んだ後、民間企業でODAを通じた海外のインフラ整備案件に携わる。AAR東京事務局勤務を経て、2023年よりウガンダ駐在、スーダン事業担当。同年4月、スーダン出張中に政府軍と準軍事組織の武力衝突が勃発し、砲弾の下、国外に退避した



