海外での仕事は、人との出会いと別れ、そして時には思いがけない再会の連続です。今年、ウガンダ事務所からミャンマー事務所へ転勤した秋山広輔駐在員が、忘れられない「別れ」と「再会」のエピソードをご紹介します。

ホイマで仲良くなった子どもたちと秋山駐在員
地域に見守られたホイマ事務所
AARはウガンダでの事業にひとつの区切りをつけることになり2026年5月、ホイマ事務所は6年の歴史に幕を閉じました。同事務所は、ウガンダ西部のコンゴ民主共和国との国境沿いで難民支援を続けてきた拠点です。地域に日本人はほとんどいませんでしたが、歴代の駐在員が地域の方々と良好な関係を築き、事務所は多くの近隣住民に見守られ、支えられてきました。おかげで大きなトラブルに遭うこともなく、安心して活動を続けることができました。
駐在員だった私は、休日には地域の人たちとサッカーをして過ごしました。特に足しげく通った近所の商店では、店先で子どもたちとじゃれ合ったり、顔なじみの人たちと何気ない会話を楽しんだりする時間が心地よく、毎日のように顔を出していました。

離任前に開催した食事会
支えてくれた人たちとの別れ
離任前、地域の皆さんに感謝を伝えるため、駐在員主催の食事会を開きました。集まってくれたのは100人以上。その顔ぶれを見ながら、この地域に深く受け入れられていたことを噛み締めました。事務所の最終日は、現地の同僚たちとゆっくり過ごしました。日々の暮らしを支えてくれた彼らのことを今でも思い返すことがあります。
その後、行政手続きなどの業務で約2カ月間滞在した首都カンパラでは、AARの先輩で苦楽を共にした相波優太さん(スーダン事業担当)と仕事や将来の夢について語り合いました。相波さんは私がウガンダに赴任した初日から支えてくれ、最終日も見送ってくれました。空港へ向かう車中では、これまでの思い出が頭に浮かび、涙が止まりませんでした。

苦楽を共にしたホイマ事務所の現地スタッフと
「里帰り」の街で恩師と再会
2026年7月からはミャンマー駐在員として、同国の最大都市ヤンゴンで暮らしています。実は、私は幼稚園年少までの3年間をこの街で過ごしており、今回の赴任は25年ぶりの「里帰り」でもあります。とはいえ当時の記憶はほとんどなく、アルバムの写真を見てかすかに思い出せる程度です。新しい赴任先として、ミャンマーの人々の優しさに感動したり、美味しい料理を楽しんだりしています。
そのヤンゴンで、思いがけない再会が待っていました。かつてヤンゴン日本人学校の幼稚園で私の担任をしてくださった先生にお会いすることができたのです。記憶のおぼろげな私とは違い、先生は私のことだけでなく、家族のことや当時のエピソードまで鮮明に覚えていてくださいました。想像をはるかに超える、感動の再会となりました。

ヤンゴンで再会した幼稚園時代の先生(右)と秋山駐在員
このような出会いや別れ、そして再会を経験できるのも駐在員の醍醐味だと思います。ウガンダでの別れは寂しいものでしたが、25年の時を経て先生と再び出会えたように、別れは終わりではなく、いつかの再会へと続いているのだと思います。ウガンダの皆さんとも、またどこかで会える日を願いながら、これからも一つひとつの出会いを大切に歩んでいきたいと思います。

秋山 広輔AKIYAMA Kosukeヤンゴン事務所
土木工学を専攻した後、開発コンサルタント勤務を経てAARに入職。2024年8月よりウガンダ・ホイマ事務所での勤務を経て、2026年7月よりミャンマー・ヤンゴン事務所



